白き永遠の世界

主にエロゲーの感想や考察について書いていきます。楽しいエロゲー作品に、何か恩返しのようなことがしたくてブログを始めました。

星空のメモリア 考察_永遠の想いを、輝く星空にのせて(5500字)

はかない美しさなんて、わからない

だからね、

スプリングエフェメラルが終わっても...

夏になったら、サマーエフェメラルが始まるんだよ


物語性 A
テーマ性 B
独自性 A
総合評価 S

公式サイト| 星空のメモリア HD -Shooting Star&Eternal Heart アニバーサリーBOX-


この記事は、「星空のメモリア -Wish upon a shooting star-」という作品のグランドルートの考察記事になります。


この星空のメモリアですが、一言で言ってしまえば神作品です。

私はこのなかひろ先生が描こうとしたその壮大なテーマにとても惹かれ、実際に触れて本当に感動しました。
この壮大な思想をファンタジーという形で作品にして、物語のテーマとして完全なまでに書ききったのがやはり私の胸を打ちましたし、忘れられないくらいの感動を与えてくれた作品でした。
このなかひろ先生の思想とその哲学は、アストラエアの白き永遠という作品でもより深く、そしてまた違った形で展開されます。なかひろ先生は一生懸命に、自分のテーマを信じて追い求めて作品にしていました。
難しい部分も多く、なかなか理解されない彼の作品ですが、私にとっては彼は一流のライターであり、彼の作品はトップクラスだと間違いなく断言できます。天才的なライターの一人である、と私は思っています。

そんななかひろ先生の代表作、「星空のメモリア」について、なかひろ先生が描き出そうとしたテーマを示していけたらと思います。
それでは、以下からは星空のメモリアの考察及び批評を書いていきたいと思います。


※以下からは完全なネタバレです。未プレイの方は、これより下は読まないことを強く推奨します。

※画像の著作権は全て、有限会社FAVORITE様に帰属します。

























星空という舞台

まずは前提から入ります。本作の舞台である「星空」についての哲学解釈です。
この作品のOPタイトルである「Eternal reccurence」は、日本語訳だと“永劫回帰”となります。そしてフリードリヒ・ニーチェが提唱した哲学の中に、「永劫回帰」という思想があります。その思想は一言で言えば、あらゆる現象の永遠性を肯定するものです。その永劫回帰思想のモチーフとなった現象の1つとして、星などを含む天体宇宙が挙げられることがあります。
星や惑星、宇宙について、これらは始まりからその終わりまで我々は知り得ない、そのためその始まりと終わりはリングのように円環構造を取りーー“永遠”と考えられていました。
(この周辺の思想は、同ライター作品であるアストラエアの白き永遠でより深く掘り下げられています)

では、そんな「星空」の舞台を通して、なかひろ先生が描こうとしたメッセージは何か?
実はこの永劫回帰と宇宙の永遠性とを連関させて、“とある事象の永遠性”を強調させようとしていたのではないかと思っています。
では本作では「何が」永遠なのか?そのことをお伝えできたらと思います。









乙津夢の永遠観

先に結論から言うと、本作品が示そうとしたテーマは、“想いの永遠性”なのではないかと思っています。


まずこれは乙津夢の永遠観です。「儚い美しさが分からない」と言っているように、彼女にとっての美しさとは儚さを否定していて、彼女にとってはその反対のーー散ってもまた次が咲くようにーー“永遠”こそが美しさだという考え方を示しています。
まずここが、本作が取り扱う大きなテーマの1つが“永遠”であるという根拠になります。









破壊し得ない対象の哲学

今度は作中で登場する妖精、彼の永遠観です。
彼にとって存在が消失したとしても、存在したという事実は変わらないーーつまり誰かの存在が永遠でなかったとしても、それで存在が否定されるわけではなく、誰かが「存在したという事実」は永遠となると主張しています。
では、“存在した事実”とは、一体何でしょうか?









願いの永遠性

夢のこの言葉から、存在した事実=永遠の想い(または願い)だということが分かります。夢が持っていた永遠観とは、こうした自分の「永遠に変わらない想い」でした。これが儚い美しさを否定した彼女が見出した永遠観でした。
本作、星空のメモリアが示したかった壮大なテーマこそ、この“想いの永遠性”だと思っています。









メアの永遠観

本作のテーマを示せたところで、次はメアという存在の永遠観です。彼女の永遠観で特殊だと感じるのは、最初は永遠性に否定的なところです。


メアにとっては存在を認められることがそのままアイデンティティを保証するものでした。しかし人がいつかは死を迎えるように、存在とは永遠なものではありません。メアには永遠という考えそのものがありませんでしたし、そして否定的でした。
そのことが存在を狩られようとするこの同じ場面からも推測できます。存在の消失に対して僅かな恐怖を隠せなかったように、彼女にとっては存在として認識されることが第一で、同時にその存在の消失への恐怖が、存在とは永続ではないことの暗示になっています。
他にもかささぎが失われることに対して強い孤独を感じていたように、彼女にとっては物理的な存在こそが、誰かがそばにいるということを実感させてくれるものでした。
つまりメアにとって、“永遠”という観念そのものがまずはありませんでした。



ではそんな永遠観を持たなかったメアが出した、自身の永遠観とは何だったのでしょうか?
彼女の永遠観は、心の中で生き続けることーー存在がなくなっても、誰かの中の想いとして永遠であるという観念的なものに変化しています。この考え方の大きな変化は印象的です。
ここでのメアの行動は存在が消えてしまう必然を伴うものである以上、彼女の言うそばにいるという意味は物理的なものではないことは確実です。だから存在が消えてもなお存在し続けるものーー自分の想いは、誰かの心の中に在り続けるということを強く言っているということになります。
メアはいなくなる=離ればなれになるということではなくて、例え存在がなくなったとしても、その想いは「永遠に一緒に寄り添ってあげられる」と信じていたから、こうした行動を彼女は最後に選んだのです。

彼女によって存在が消失しても、残されるものがあるーー永遠があることがはっきりと示されたのではないかなと思います。
メアが主人公に伝えたこと、それは“想い”が永遠であることです。

なかひろ先生が書きたかったのは、死や消失の儚さに対する感動ではなく、死してもなお“永遠”が存在するということを壮大かつ、感動的に描きたかったのではないかなと思っています。









小河坂洋の永遠観

そんなメアに対して主人公・小河坂洋が提示した永遠観は、「失われてもなお取り戻せる」です。
この永遠観ですが、子供の頃の夢が言っていたことと同じですよね。しかし大人になった夢や、最後のメアにとって自分の命は失われるものであった以上、彼女たちには肯定することはできなかった観念です。
ここで主人公が言いたかったのは、心の中で生きるのは嫌=心をありのままで実感していきたいという意味だったのかな、と思っています。夢が主人公と一緒に生きていたいというのが本当の願いだったように。メアが離ればなれになるのに、本当は強い孤独を感じ、恐怖を感じていたように。









物理法則と観念論

世界や宇宙は物理法則が成因となっており、基本的に例外はありません。しかしこの作品が提示したのは、全てがそんな物理の無情に呑まれるのか?ということです。
約束も、記憶も、想いも、そばにいたいという気持ちも。その全てが質量保存の法則や物理法則によって失われてしまうものなのか?この作品(の主人公)はその物理の法則に抗います。
それは想いが物理法則に反して、“永遠”に失われないということを示したかったのだろうと思っています。

ご都合主義と解釈されることもある、主人公の母の登場をこの“永遠”で解釈してみます。主人公の母は既に死しており、その想いが誰かに届くことは常識的にはありません。
しかし永遠の象徴である星、その記憶として、彼女の想いもまた“永遠”であることを書きたかったのだと思っています。だからこそ、母の想いは息子たちに届けられたーー。









約束と絆

夢と主人公が結んだ子供の頃の約束、夢とメアが結んだ約束、メアと主人公が結んだ新しい約束。そうした約束の果てにあるもの、永遠に変わらない想い。それが、“絆”です。
絆とは、永遠に変わらない想いが結んだ、誰かとの永遠のつながりだと思いました。

星空のメモリアの続編のサブタイトルが「Eternal Heart(=永遠の気持ち)」となっているのも、本作が示そうとしたテーマが“想いの永遠性”だということを示しているように思えてなりません。


この星空の輝きが永遠であるように。
いつまでも変わることのない、約束の物語──
(星空のメモリア Eternal Heartのキャッチコピーより)










・感想

終わりになりますが、なかひろ先生が描こうとしたテーマは改めて壮大だと感じました。それだけに、この“永遠”というテーマに誰も注目していないと感じているのは惜しいような気がします。
人は死によって全てが無になると考えます(もちろん私もそう考えています)。ですがなかひろ先生は、決して無くならないものや永遠性を信じて、普通なら空想にも近いような考えを、大真面目かつ一生懸命に書き切りました。ここまでの表現力とその力量には圧倒されましたし、その信念が感動を与えてくれました。


ちなみに乙津夢のセリフで解釈が分からなかった部分があり、抽象的すぎてこの言葉が何を意図しているのかはっきりとは分からなかったです。


しかしここでの乙津夢はあまり多くは語らなかったのですが、続く主人公の言葉から、メアを失い、記憶を失い、夢のことを忘れても。それでも想いを失い切れていないことが分かるように、夢の言ういつまでもそこに在るもの=主人公や夢の変わらない想いだったのかな、と思っています。ここでも何となくですが、想いの永遠性を示す印象的な場面でした。


なかひろ先生の「破壊し得ない」という思想とその哲学ですが、アストラエアの白き“永遠”でも引き継がれています。アストラエアのこの場面ですが、妖精男のセリフと根本は同じです。そしてここでは、存在した事実=心(想い)であり、それは永遠である、とテーマを連作として考察できる部分でもあります。
他にも永遠に対する思想など共通部分は色々とありますが、そんななかひろ先生独自の一貫した思想と哲学は素晴らしいと感じましたし、本当に感動しました。私にとっては神作品です。

しかしこの作品が出て10年ですか。当時はこの作品はプレミアが付いて入手困難で、多くの人がそのことを言っていたのが懐かしいですね。今はHD化もされていますし、色々と感慨深いです。


本考察にて扱った「星空のメモリア」について、また違った観点からの考察を展開しているサイトがあります。
星空や天体を交えた解説から、本作とのつながりを深められる魅力ある考察です。掲載主様からリンクの許可を頂いたので、こちらもぜひ読んで欲しいです。
【考察】星空のメモリア-Wish upon a shooting star- 夢√・メア√ - 猫のえろげにっき